Lee's Words 李国秀オフィシャルブログ

中田浩二に掛け声やり直しを命じた高校選手権決勝

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1996年いっぱいで桐蔭学園サッカー部監督を辞任した李国秀が、1999年にヴェルディ総監督に就任するまでの活動内容ついて語ります。

───李さんは1996年に桐蔭学園の監督を辞任した後、様々な高校で臨時コーチを務めます。

桐蔭学園を辞めた時は、次の仕事を決めて辞めたわけではなかったので、自由に活動することができました。

───1997年9月には清水商業の臨時コーチに就任しました。この時の清水商業は小野伸二選手が3年生でしたね。

そうでしたね。ただ、小野君はあまり触らなかったんですよ。この時期の私の指導がどうだったかについては、1999年にヴェルディ総監督時代に高校3年生でチームに入っていた平本一樹君に訊いてもらったほうがいいかもしれません。

中田浩二の掛け声に「正直、ゾッとした」

───なるほど。1997年12月には帝京高校の特別コーチに就任します。この時の帝京高校は中田浩二選手が3年生で、李さんは高校選手権にも帯同していますね。

当時、帝京高校の古沼先生が、「東京都予選をやっと勝っちゃった。でも、これ以上はチームとしてどうなんだろう」と仰られていて、「李さん、ちょっと助けてくれないか」と声を掛けて頂きました。「僕でいいならどうぞ」ということで、帝京高校の指導をすることになったんです。

最初は古沼先生も軽い気持ちでしたでしょうし、当初は10日間とか、そのくらいの短い期間の予定だったんですが、予想以上にチームが変わった感触がありました。そこで、「このまま選手権までやっちゃいましょう。費用はともかくとして」となって、高校選手権にも帯同したわけです。

───なるほど。指導の内容はどのようなものだったのでしょう?

彼らには「どうして高校選手権に出たいの?」「高校選手権に出て何をするの?」という問いかけをし続けました。私はサッカーを通じて、どうやって社会に向かっていくのかを軸に指導をしますから、こうした問いかけから指導が始まるわけです。

───その指導の結果、帝京高校は高校選手権で決勝まで駒を進めます。大雪の中での試合でした。

決勝戦の前にホテルでミーティングをし、会場へ到着すると、雪が深々と降っていました。「こんな中で本当にサッカーをやるのだろうか」と思いましたが、大会主催者は「試合はやる」と言っていて、驚いたことをよく覚えています。

決勝戦のロッカールームでは、「いざ出陣」という時、中田浩二君が選手を集めて掛け声を発したのですが、それに対して「やり直し」と言ったことが印象深いですね。

───やり直させた!? 中田浩二選手は何と言ったのでしょうか?

彼は「今日は高校最後の試合だ。今までの苦労とか……」と、ネガティブな話をし始めたんです。私は「それは違うだろう。もう一回、ミーティングの内容を整理してくれ」と言いました。

私は自分たちがやるべきこと、目指すべきものの確認をして欲しかったんです。高校最後の試合だとか、今までの苦労がどうだったかとか、そんなことはどうでもいいじゃないかと。彼らにとってはそれが伝統だったのかもしれませんが。

───帝京高校の伝統というわけですか。

というより、高校サッカーの体質でしょうね。中田君の言葉を聞いて、正直、ゾッとしましたよ。おいおい、何てことを言い出すんだと。

決勝戦まで何十日と私と付き合ってきたわけですから、それはないだろうと思ったんです。

───決勝の前、準決勝や準々決勝では中田浩二選手の高校サッカー的な掛け声はなかったのですか?

それはわかりません。実は私がロッカールームまで入ったのは決勝戦だけなんです。決勝戦は古沼先生からロッカールームに入ってくれと言われましたので。

それまでは、ホテルでミーティングをしたり、スタンドから携帯電話で古沼先生とやり取りはしていましたが。

試合が終わったら、フィードバックし、次の試合に向けてミーティングをして……といった具合です。

───ミーティングではどのような内容の話をしたのですか?

1試合ごとに目標や目的はありました。しかし、何より大会を通して彼らが清々しいスポーツマンとして映像に残り、語り継がれるようにしていきたかったんです。これは私がコーチに就任した当初から、選手たちに告げたことです。

ですから、「今日の勝利後の校歌の聴き方はとても恥ずかしい聴き方だったね」といった細かい点まで触れました。「今日の校歌の聴き方は何? おかしくないか? あれは格好良かった?」といった問いかけをしていく中で、選手たちにどう振る舞うべきかを自覚していくように仕向けていきました。

私はサッカーはさわやかで素敵なスポーツだと思っていますから、「蹴って走って頑張って」という高校サッカーの体質には違和感を覚えます。私がコーチとして選手たちに刺激を与え、少しでも私の影響を受けてくれたらとは思っていました。

「一回くらい教え子の卒業式に出てやるべきだった」

───高校サッカー的な体質は何が問題なのでしょう?

高校サッカーは、選手が社会へ向かう通過点であるべきです。しかし、大会で優勝したのに卒業したら抜け殻のようになってしまう選手もいます。そういった選手を指して、高校サッカー燃え尽き症候群とか、甲子園燃え尽き症候群なんて言葉もありますが、それはやはりスポーツに携わる大人が導いてしまった結果だと思います。私はそういう指導はしません。

───高校サッカーをTV中継で見ていると、燃え尽きを奨励するかのように試合後に涙ぐむ監督さんもいらっしゃいます。李さんの言うところの高校サッカー的なメンタリティを疑問視している指導者は少数派なのでは?

一方で、「高校サッカー的」な指導をしないことがいいことかどうか、という議論もあるわけですが。

───高校サッカー的な指導をしないことの否定的な側面はどのようなものなのですか?

たとえば桐蔭学園時代、私は卒業式に一度も出てやったことがない。今思うと、一回くらい出てやればよかったなと。いったい何をしていたんだろうと思います。

ブログをやるためにこうして過去を振り返ってみると、いろいろと考えさせられます。残念だったことはいくつかありますが、その中でも、やはり卒業式は出てあげるべきでした。

彼らがどれだけ凛々しく卒業していったのかなと。ちゃんと送り出してあげればよかった。

───意外です。李さんもそのように思うことがあるのですね。

当時の自分の心境を思い起こすと、涙ぐんでしまうとか、湿っぽいことがイヤだったのかもしれない。そんな気がします。

私は2004年から、LJサッカーパークを経営しておりまして、そこでジュニアユースチームの指導をしています。学校で言うところの卒業式にあたる「In & Outセレモニー」という行事で、1期生を送り出す時、私は涙ぐんでしまいスピーチ原稿が読めなくなりました。スピーチは途中でやめました。

どうしてこんな感情が沸き起こってくるのだろう……。我ながら不思議でした。やはり寂しかったのかな。

───なるほど……。この後、李さんは清水商業などの臨時コーチを経て、ヴェルディ川崎の総監督となります。その過程についてはまたゆっくりお伺いします。ありがとうございました。