Lee's Words 李国秀オフィシャルブログ

李国秀はJリーガーを次々に作り出した裏でどのようなことをしていたのか

桐蔭学園ドイツ遠征時の集合写真

1993年、桐蔭学園ドイツ遠征時の集合写真。盛田剛平(後列左端)、森岡隆三(後列左から4人目)、山田卓也(後列左から5人目)、加賀見健介(後列左から7人目)、三上和良(後列右から6人目)、橋本研一(後列右から4人目)、廣長優志(後列右から3人目)、米山篤志(前列左から2人目)ら、後にJリーガーとなる選手がズラリ。

 

───長谷部茂利さん、戸倉健一郎さんがヴェルディ川崎に入団した1994年には、桐蔭学園から高卒でJリーグのチームに加入する教え子が出てきました。廣長優志さんがヴェルディ川崎に、森岡隆三さんと橋本研一さんは鹿島アントラーズに入団しています。

私は基本的に、ひとつのチームに教え子を一人で行かせるのは嫌なんです。だから、鹿島アントラーズにも森岡隆三君と橋本研一君の二人で行かせました。

───福永泰さんは一人で浦和レッズに行きましたね。

彼は最初、ジェフに行こうとしていたのですが断られたようで、そのあと「力を貸してください」と訪ねて来ましてね。

福永君はジェフへの潜入を試みる前、進学した青山学院大学の繋がりで、浦和レッズから誘われていたのですが、彼はそれを断ってしまっていたんですね。ところがあてにしていたジェフからも断られたものですから、八方塞がりになっていたのですよ。

───そこで李さんが浦和側と福永さんの関係修復に動いたと?

浦和レッズのフロントにいた中村修三君に電話をしました。彼は青山学院大学から三菱に行った、いわば福永君の先輩にあたる男で、福永くんを浦和レッズに誘ったのも彼でしたから。電話で「なんとかしてやってくれ。へそを曲げないでくれ」と言いました。内心、「大変なことになったな。バカタレめ……」と思いましたけど(笑)。手が掛かる子でしたよ。

森岡隆三、戸田和幸のプロ契約秘話

───森岡隆三さんに話を戻しますと、彼はスポーツ推薦での入学ではなく、桐蔭学園中学からの内進生で、入部の経緯も一風変わっていますね。

彼が中学3年生の時かな……。「入部させてください」とお願いしに来たときのことを、よく覚えていますよ。

「なぜサッカー部に入りたいの?」と私が訊いたら、彼は「サッカー部に入れば大学に行けるって聞いたので」なんて答えてましたよ。面白いことを言うやつだなと(笑)。

───それ以前に森岡隆三さんのことは知っていたのですか?

森岡隆三君のお兄さんは知っていましたよ。読売クラブのユースにいて、とても才能のある選手でした。

───結局、森岡隆三さんは大学に進学はせず、鹿島アントラーズに入団しました。

彼のご両親は、たいへん常識的な方なのですが、3年生の4月に行った進路相談で「李さん、息子のサッカーの素質はどうですか」「大学進学にはこだわりません」と仰られたのです。そこでプロ入りの道も模索したわけです。

同級生の廣長優志君はヴェルディ川崎に入れたのですが、当時の森岡君にはヴェルディでやれる力はまだなかったので、鹿島アントラーズに入れました。

───鹿島アントラーズはJリーグ初期にはヴェルディほどの選手層ではなかったでしょうが、トップクラスの強豪でした。なぜ翌1995年のシーズン中に移籍させたのでしょう?

森岡君は1年目は試合に出られたのですが、2年目はくすぶっていたのですよ。

そのときちょうど戸田和幸君が高校3年生で、進路をどうするかを話し合っていて、彼が「李さんが決めてください」と言いましてね。そこで「ヴェルディに行くか?」と水を向けたら、「ヴェルディは嫌です」と言うんですよ。どうしようかなと(笑)。

───「李さんが決めてください」と言ったのに(笑)。

結局、清水エスパルスに行かせることにしました。そこで森岡君を鹿島アントラーズから移籍させて、二人で行かせようと思ったのです。戸田君を一人で行かせるのは嫌でしたから。

───選手の移籍は李さんが「移籍させる」と言えば簡単にできたものなのですか?

いや、私は選手をJリーグのチームと契約させるとき、契約書に必ず別紙を付けるのです。「移籍は自由である」という内容のね。

ですから、森岡君を移籍させるときも、野見山篤君という当時の鹿島アントラーズ強化担当が「ちょっと待ってくれ」と言ってましたけど、契約書に「移籍は自由である」と明記してありましたから。

そこで野見山君には「権利の話をすればこちらが勝つんだから、気分良く送り出せ。どうせジーコは使ってないでしょう」と言って、シーズン中に清水エスパルスに移籍させたのです。

───翌1996年には戸田和幸選手が清水エスパルスに入団します。

戸田和幸君との契約は、清水エスパルスの戸塚社長と全日空でチームメイトでもあった唐井直君が強化担当として出てきて、金額交渉などを行いました。

ひとつ条件をつけましてね。ご両親にプレゼントして差し上げたいから、JALのファーストクラスで好きなところへ行かせてあげてくれないかと。

───そういう細かい部分にも気を配るものなのですね。

ただ、戸田君の契約に関しては、交渉の相手が旧知の唐井君でしたから油断しましてね。

契約書に「移籍は自由である」という別紙を付けるのを忘れたのですよ。別紙をつけていれば、私が1999年にヴェルディ総監督になったときに戸田君を獲得できたのに……。不始末でした。

───高校サッカーの監督は選手獲得も送り出すのも、非常に手間がかかるというか、話を伺っていると、気が遠くなります。

そうですよ。大変なんですよ(笑)。

ただ、いまにして思えば高校選手権に出て注目を浴び、教え子がプロ選手になっていく過程で、桐蔭学園への入学を後押ししてくださった中学校の先生方や指導者の方々に「大事な教え子を桐蔭に入れてくださってありがとうございました」と、日本式のお礼をどうしてしなかったのかなと思いますね。

当時は30代で、世間のことを何もわからずに夢中でやってましたから、しょうがないんですけど。

───桐蔭学園サッカー部で李さんの指導を受けてプロになった選手はまだまだいます。次回はまだ触れていない他の選手についてお伺いします。