Lee’s Words 李国秀オフィシャルブログ

トルシエは日本サッカーに何を残したのか

加茂~岡田時代を振り返った前回の記事に続き、今回はフィリップ・トルシエ監督が日本代表の指揮を執った時代を、元ヴェルディ総監督・李国秀が語ります。

───第1次岡田JAPANのあと、98年からはトルシエ氏が日本代表監督に就任します。

トルシエといえば、私がヴェルディの総監督時代に、大仁邦弥(現・日本サッカー協会会長)さんとともに表敬訪問にいらっしゃいましてね。それが初めての出会いですね。

───1999年の話ですか?

1999年ですね。当時ヴェルディ社長の坂田さんからも「今日、トルシエが来るから会ってくれ」と言われましてね。

「ヴェルディにいい選手はいない」をめぐって大仁邦弥さんと大揉め!?

───トルシエ氏とはどんな会話をしたのですか?

応接室に入って挨拶を終え、「今日は何のご用?」と訊いたら、彼は「選手を見に来たのだが、いい選手はいるかい?」と言ったので、私は「いっぱいいるよ。米山、中澤、小林……」と、さまざまな選手を挙げました。

そうしたらトルシエが大仁さんに「ヴェルディにはいい選手いないって言ったじゃないか」と言って、大仁さんは「俺はそんなこと言ってないよ」と揉め始めましてね(笑)。大仁さんとのやりとりがコントみたいでおもしろかったですね。

後に日本代表に選ばれる中澤佑二君の名前は、そのときトルシエの頭のなかにインプットされたのかもしれません。

───トルシエ時代の日本代表には、李さんがよく知る森岡隆三さんや戸田和幸選手も選ばれました。彼らの名前もそのときに挙げたのでしょうか?

話はしたかもしれない。細かくは覚えていませんが。

森岡隆三君がトルシエ時代に日本代表に選ばれたことは、日本と欧州のサッカー観の違いをよく表していると思います。

岡田武史さんが日本代表監督だったなら、森岡君は選ばれなかったのでは? 日本人の監督はセンターバックに大きさや強さを求めますから。森岡君は強い選手ではない。

───たしかに第2次岡田JAPANでも岡田監督は中澤、闘莉王と長身選手を起用しました。

それを良いとか悪いとか言うつもりはありません。ただ、サッカー監督という職業はサッカー観やサッカー哲学が明確で揺るぎないものでなければいけない。

そういう意味でトルシエ監督はおもしろい存在でした。結果の面から見ても、トルシエはなかなかいい仕事をしたと思います。

───戸田和幸選手は日韓W杯ではボランチとして全試合に出場しました。センターバックのイメージが強かったですが……。

それはあなたの勝手なイメージじゃないですか? 私の中ではボランチの選手でしたよ。

彼がユース代表に入ったときも、西野朗さんや山本昌邦さんに言いましたよ。「ボランチで使ったほうがいいよ」とね。

ポジションの適性をどう見るかは、その人のサッカー観の問題ですから、それを批判するつもりはないですけどね。

───戸田選手は桐蔭学園時代はボランチだったのですか?

彼は中学時代は左サイドバックだったのですよ。高校で桐蔭に来て、2年間はほとんど試合に出れませんでした。

ユース代表に選ばれても、桐蔭に戻ったら試合に出れなかったなんてこともありました。高校3年でボランチになって花が開いた選手ですよ。

彼の特性は10メートル四方を素早く動けること。そしてボールの取り方が上手い。私はボールの取り方が下手な選手には中盤を構成させませんから。

───トルシエ氏がヴェルディを訪問したときは、他にどんなお話をされたのでしょう?

その後、トルシエと通訳のフローラン・ダバディとともに、食事に行きました。私もフランス語堪能な通訳を連れていきました。後に野田佳彦氏の秘書になった人ですよ。

それはともかく、トルシエは手品が上手くてね(笑)。おもしろい男でしたよ。

食事の席では、私が考える日本サッカーの現状についてなど、さまざまな話をしました。具体的には、ここでは言えない話ばかりですが。

───トルシエ氏のどのあたりがおもしろいと感じましたか?

彼はハンス・オフトと同じで、サッカーピープルなんですよ。アルディレスとかペリマンもそうですけど。

何をもってサッカーピープルと呼ぶか。簡単に言うと、試合のときに「ロッカールームにおいで」と言う人です。

───日本代表のロッカールームに行ったんですか?

私が代表戦に行ってトルシエに「Hi」と挨拶すると、彼は「Mr.Lee, Come in」と言って、ロッカールームまで入れてくれるのですよ。

日本人の監督はロッカーに入れます? 入れないでしょう。私は入れますけどね。

───サッカーピープルになると日本代表のロッカールームにまで入れるのですね。

同じサッカーピープル、仲間だという意識からでしょう。

選手はみんなビックリしてましたけどね。川口能活君は「あ、李さん、どうしたんですか?」なんて言ってね(笑)。

ロッカールームに外部の人を入れることを良い悪いと議論をするつもりはないですが、私とトルシエの関係を測る物差しとして、そういう思い出があったということです。

オーストラリアでの食事会の一コマ
林健太郎(当時ヴェルディ川崎)と握手を交わすトルシエ監督。中央は李国秀、その後ろは大仁邦弥氏(現・日本サッカー協会会長)

他のチームに真似られるほど強烈だったフラット3

───トルシエ氏と交わした会話でほかに公にできるものはありますか?

当時は彼も選手編成で悩んでいたのか、さまざまな選手についてどう思うかは訊かれました。具体的にどういう会話だったのかは言えませんけれども。

印象的だったのは、夜も遅い時間になったら、彼が「李、私はもう帰らなきゃ。奥さんが怒るから」と言いましてね。彼は恐妻家でした。

私は「ダメだよ、今日は俺と飲んでるんだから君は帰れないよ。奥さんに今日は帰れないって電話しなよ」と言ったんですけれども(笑)。

───トルシエ氏はフラット3という聞き慣れないシステムを採用し、それが批判の的にもなっていました。世界の基準から離れた戦術、奇天烈な戦術ではないかと批判されました。

表面的に、インスタントに、サッカーを語ってしまう記者たちが騒いでいただけではないですか?

当時、フラット3、フラットラインのディフェンスを日本のチームはみんな真似たじゃないですか。それだけ強烈だったし、影響力があったのですよ。歴代の日本代表チームで、真似られたチームって他にあります?

───なるほど。

記者やサッカーファンが日本代表を批判するのは、当然でしょう。監督というものは批判や批評に耐えながらやるものです。つまり、メディアとどううまくやるかが仕事のひとつと言ってもいい。

しかし、指導者層は強烈なものに飢えているのですよ。ですから、彼のフラット3をみんな真似た。盛り上がったし、それでいいじゃないですか。

私が彼の戦術を批判することはないですよ。メディアの表面的な議論には乗っかれないですね。

───結果的に2002年の日韓W杯では、日本は初めて予選リーグを突破。ベスト16に進出しました。

ひとつの役割、責任は果たしましたよね。

日韓W杯は、私の中で「比較をするW杯」と銘打ちました。日本と韓国を比較するという意味です。

韓国はヒディンク監督を招聘しました。彼の年俸は10億円ですよ。当時の韓国ではボロクソに書かれましたよ。女性問題を暴いたりしてね。しかし、彼はW杯で結果を出し、内容も良かった。いまや英雄ですよ。審判の問題などがあったにせよね。

ヒディンクとトルシエの実績、年俸がどれほど違ったかを比較してみてもいい。その点から言えば、トルシエは給料分の仕事はしたと言えるのではないでしょうか。

───給料分の仕事をしたかどうかという批評は、日本にはあまりないですね。

そしてもうひとつ、サッカーチームの良し悪しを語るとき、そのチームのやり方がどれだけのチームに真似られたかは、評価の尺度になり得るのではないでしょうか。サッカーという競技に携わる以上、勝った負けたで批評されるのは避けられません。日本では、それこそ小学生時代から「何が何でも勝つ」という風潮がありますし。

しかし、サッカーシーンにどれだけ影響を与えたか、どれだけ真似られたかは、サッカー監督を語る際にもっと重要視されていい要素だと思うのです。そういう意味でもトルシエ監督はいい仕事をしたと思っています。

───ありがとうございました。

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