───W杯は終わってしまいました。決勝戦はご覧になっていましたか?
観ていましたよ。神奈川新聞に寄稿する仕事がありましたし。
勝利至上主義的な価値観からは勝ったフランスを称えるべきなのかもしれませんが、それだけではないだろうというのが私の見方で。
───神奈川新聞にはクロアチアの方が見習うべきプレーは多かったと書いていますね。
ボールの持ち方、動かし方、奪い方。質はクロアチアが上回っていたと思います。
一対一でのクロアチアのディフェンスは見事。足の出し方が徹底していて面白く観ました。
───クロアチアが勝てば、伝統的強豪国の壁を打ち破る革命的な大会になったのですがそうはなりませんでした。
気になったのはクロアチアの監督、まだ経験が少ないのかなと。
私は後半、クロアチアの監督はなぜレアル・マドリーでプレーしているコバチッチを入れないのだろうと思って見ていましたけれども。
───それはなぜでしょう?
後半、クロアチアの攻撃が単調になった。そこで変化が欲しい、リズムチェンジが必要な時間にコバチッチを入れる作戦がとれなかったのかと。
交代枠を一つ残していても使われなかったわけですから、何か使われなかった原因があるんでしょうけど。
───一方のフランスは堅守速攻、勝ちにこだわった戦い方に見えました。
デシャン監督は2016年の欧州選手権で負けた悔しさがあります。つまり、たくさんの批判受けてきていて、その批判に打ち勝つには結果しかないんだということなのでしょう。シャンパンサッカーを捨てましたよね。できる選手は揃っていましたけれども。
後半にイエローカードをもらっていたカンテを下げて、大きなエンゾンジを入れてきたあたり、サッカーを良く知っているなと。
───今大会は総括すると、どのような大会でしたか?
驚きの大会ですよね。
VARの導入によって真のプレーが要求されるようになりました。
フィールド上では、一瞬でも早くボールに触ること。アタッカーはそこで得点を狙い、ディフェンス側は失点を免れようとする。この攻防のおもしろさがより伝わるようになった。
相手をファールで止めるとディフェンス技術は進歩しないんです。
これはディフェンスや体の寄せ方の技術に対するFIFAからの警告でしょう。勝利至上主義的なディフェンスを放置していたら、サッカーの価値が下がるという危惧が彼らにあるのかもしれない。
また、動画機器の進歩もあって、テレビ観戦の視聴者を大事にすることを意識したのかなと。
───決勝戦でもVARによるPKがありました。
レフリーはゲームの演出家とも言えますが、あのPKはクロアチアには打撃だった。
あのPKは取っても取らなくても批判はされるのでしょう。それについてとやかく言う人がいるのはわかります。
個人的にはVARに頼らず、PKではないとしたほうが試合としては盛り上がったのではないかと思いますけれども。
文明の利器にどこまで頼るのかという次のテーマも与えられたのかなと。
優勝候補の敗退も驚きでしたね。
───GL敗退のドイツ、スペインやアルゼンチンもベスト16で敗退しました。
ドイツはリズムチェンジできる選手がいませんでした。選手を選ぶ段階で、監督が2人くらい選び間違えたのではないかと思います。
1人はFW、1人は中盤からアウトサイドの選手。
フランスのデシャン監督、ベスト8で敗れたブラジルのチッチ監督、ともに選手編成は称賛されるべきだと思います。
その2カ国と比べると、ドイツの編成は物足りなかったなと。
南米出場国の応援の多さも驚きでした。
───特筆すべきチームはいましたか?
ブラジルのオールラウンドな攻めは流石だなと。前後左右、どこからでも攻められる王道のサッカーです。
クロアチア、コロンビアも同じタイプでした。
ベルギーの速攻も見事です。個の力はフランス。選手が所属しているクラブを見ればわかりますよね。
W杯を観ていて、いいなと思った選手を調べてみると、実は試合にはそんなに出ていないけどトップクラブの選手だったりということがままあります。それはトップクラブのスカウトが凄いということでもあるんですが。
一方でまだ有名クラブに買われていない、いい選手を見つけて、彼が後にどういうクラブに買われていくかを見るのもおもしろいものです。
選手としてはロシアの17番、ゴロビン選手がおもしろいなと思っていて、次にどういうクラブと契約していくのだろうと。
───はい。日本代表についてはどうでしょうか。決勝トーナメント進出は驚きだったと思います。次期監督は森保一氏になりましたが。
今のサッカー協会に外国人監督は無理なのかもしれない。同時に、森保監督の立場について懸念もあります。
───どういう懸念ですか?
森保監督がやりやすい強化部長が必要だと思います。
───森保監督個人についてはなにか知っていることはありますか?
ハンス・オフトに抜擢された選手でしたから、オフトの影響はどこかにあるのかなと。
個人的にはよくは知らないんですけれども、性格の良い人だと聞こえてきます。
───今回のW杯では、李さんは何度となく解説者について「ボールを回す」と言い方をやめろと仰っていましたね。「ボールを動かす」が正しいのだと。正直、その違いについて視聴者も解説者も気にしていないのが現状だと思いますけど。
そもそもサッカーってどんな競技かというと、私の定義では、ボールを動かしながら、どちらから攻めようか、いつスピードを上げようかをうかがう競技だと思っています。だからボールを回すことが目的ではない。
いまのテレビ中継を観ていると、ボールが回っていること自体を良いことのように捉えていて、非常に聞きづらいというか。育成上も悪影響があると思います。
───日本の解説者も言葉の使い方に無頓着というか、大衆にとってわかりやすい言葉遣いのほうに寄っていってしまう傾向があります。人気商売ですからね。「ボールを回す」ではなく「ボールを動かす」ですよって言っても「面倒なことを言う人だな」と思われてしまったり。
それでなくても、なんでこの人が解説をやってるんだろうなと思うキャスティングもあったりとか。
───サッカーファン的な立場から言うと、そう思っている人、多いと思いますよ。
W杯解説者の中では藤田俊哉君と戸田和幸君は個人的にも知っている関係ではあります。
藤田君とはよくサッカーの話をするんだけど、彼はとてもスマートでおしゃれで、愛嬌がある人物で。
彼が高校・大学くらいからずっといろいろな話をする関係ではあるんですけど、指導論の話になると私はいつも「俊哉はまだ指導者やってないからね」と少しかわしたりはします。「一回、指導者やってみなよ」とね。
───今は海外で指導経験を積まれているようですけどね。監督はまだやられてませんけど。そしてそんな個人的関係がある中でたいへん申し上げにくいのですが、まさにその藤田俊哉さんの解説がサッカーファンから批判されていて…。
おおいに批判はするべきですよ。藤田君はこれからの人だから、批判を将来の肥やしにしていけるでしょうし。
───戸田和幸さんについてはどうですか? 戸田さんの解説術のルーツが桐蔭学園での指導にあったのではないかという指摘もあるわけですが。
彼は昔からサッカーファン的に、選手の名前とかを詳しく覚えていて、それが解説に活きているのではないかと思います。過去にたまたま私と縁があって一緒にサッカーをしたわけですけど、長い人生の中でたった3年間ですよね。
ただ彼は高校1年生のときは、ボールは回すものと思っていたでしょうし、サッカーは勝つべきものだと思っていたでしょう。その脳みそを変えるのにどれだけの時間がかかるかというと、2年かかった。
彼は高校2年生までは、霧の中にいました。高校3年生になって、霧が晴れたときに大きく進化していったことが記憶に残っています。
それ以後、彼とサッカーについてきちんと話したことは記憶にない。だから戸田君には戸田君の人格があって、その中で生きているわけで。
───なるほど。それでもどことなく李さんの影響は感じますけどね。
桐蔭学園卒だと、水戸で監督をしている長谷部茂利君とか、仙台で監督をしている渡邉晋君とか、鳥取で監督をしていた森岡隆三君とか、川崎でコーチをしている米山篤志君とか、まあたくさんいますけど、彼らには桐蔭卒だという肩書がついて回るわけです。
桐蔭卒と言われると、サッカー人の間で一目は置かれる。なぜかというとサッカーの質が違うから。今のサッカーファンにはわからないかもしれないけれども。
一方で「桐蔭卒だから李ファミリーだ」とか見られることが、彼らにとって良かったのかどうか。
そんな風に見られていたのかもしれないけど、李ファミリーで月に1回勉強会をして集まったりとか、口裏をあわせているとか、そんなことはないわけで。
だから戸田君にしろ、誰にせよ、彼らなりの生き方で得たものを解説なりサッカー指導に出しているだけではないですか。
私がしたことはスマートに育てたということ。この国のサッカー指導が「スマートさ」をもっと重視すればいいのにと思いますけど。
───日本はサッカーに限らず、スマートさはまったく重視していないですよね。むしろ、スマートとは真逆の「泥臭さ」を重視している。泥臭く頑張ることが良いことという高校野球的な世界観が根強いと思います。
誰といつ出会って、どのような影響を受けたかということが大事なのであって、そこに戸田君がもともともっている資質とか、日本語の綺麗さが組み合わさって今があるということでは。
戸田君がいたころの桐蔭での指導の話をすれば、練習は1時間くらいしかしなかったし、休みも多かったし、「絶対勝つぞ、エイエイオー」みたいに力こぶを作って気合を入れるようなこともなかった。普通にやれば勝つだろうと思っていたから。
学生は世の中に出るために生きているわけで、勝つために生きているわけではないんです。
───李さんのその指導スタイルには「スマートに育つ」という価値があるのかもしれない。しかし、それを生み出すためには、ある種の「李さんルール」みたいなものを学校側が認める必要があると思います。「いやいや普通にやってくださいよ」というとても日本人的な反応とのせめぎ合いが2015年から2018年の桐蔭学園サッカー部で起こったことでは。
いや、せめぎ合いはなかったですよ。学校側にははじめからそんなつもりもなかったんだと思います。
───李さんのようにどこかで常識から逸脱してしまう人には、生きづらい世の中かもしれない。「普通にやってください」という基準を突き詰めると、「逸脱してしまうけど価値を生み出す人」が「逸脱しないけど価値も生まない人」より早く排除されてしまう。そうなるとサッカー指導の現場に多様性がなくなり、中長期的には停滞するのではと思いますが。
そんなに逸脱しましたかね?
───逸脱と言って語弊があるなら、はみ出すと言ってもいいかもしれない。ともかく、これは普通ではないと思った人がいたから騒動になったのだと思います。
「普通にやる」のがそんなに大切なことなら、それでいいではないですか。
ただ、日本と世界と比べてみれば、西野監督とデシャン監督の違いは若い才能を見逃さずに見つけられたかどうかです。デシャン監督は19歳の才能を見逃さなかったんですよ。私はそういうことが監督の評価だろうと思うのですが。
───日本だと「普通は19歳ではフル代表には選ばれない」みたいなことかもしれないし、あるいは実績主義、これまでの貢献度重視という年功序列的な感覚なのかもしれません。今回の日本代表は一番若い層で23~4歳でしたから。
日本にも可能性のある19歳はたくさんいるんですよ。それを見抜ける人がいないのが日本の悲劇であって。
───さらに言うと、海外の代表にははみ出してしまうけど価値も生み出すタイプの選手や監督も多い。過去に警察沙汰を起こした選手だっています。そういった人にも再チャレンジの場を与え、社会に包摂する仕組みがあるかどうかが日本との違いのように見えます。
サッカーで一番大切なものは評価基準です。何をもって監督や選手を選ぶのか。
ああやれば代表監督になれるのか、ああやれば代表選手になれるのかという形を日本サッカー協会は改めて作るべきだと思います。メディアも含めて。
おそらく彼らは「実績だ」とか言うんでしょうけど。
先般、ある大手企業の役員をされている80歳の方とお話する機会があって、とても含蓄のある話を聞かせていただきました。そういった重厚感のある方と、若さとチャレンジ精神を持った人がサッカー協会にいればいいのにと思います。
───若さとチャレンジ精神を持った人にとっては、やはり起業のほうが旨味がある。サッカー界では欧州で成功した選手以外は報酬面で良いとは言えないし、選手以外だと業界のトッププレーヤーになるまで時間がかかりすぎる。
そういう意味ではJリーグは中途半端な立ち位置かもしれません。プロ野球のように税金対策になるわけでもないから、起業家がサッカークラブを持つという展開にはなりづらい。
いまの日本って壊れていますよね、社会が。労働の現場とか、地域コミュニティも壊れていると思います。
そういった問題をサッカー界が先んじて解決していけば、世の中の人々にはサッカーファンになる動機が生まれるし、企業にとってはサッカーをスポンサードするだけの価値が生まれる。
政界や経済界ができないことをサッカー界がやってみて、上手くいけばその方法論をみな真似るかもしれない。
───李さんのその熱量とか問題意識が、このブログを通して誰かに届くと良いのですが。ありがとうございました。
聞き手:@mzmktr
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