───W杯も決勝トーナメントが始まりいよいよ佳境です。予想もしないことが次々と起こっていて、さまざまな議論が交わされています。
あるサッカー関係者に「李さん、ブログでは褒めたほうがいいですよ」と言われましてね。
たとえば選手やテレビの解説者を批評するときも、「○○君は素晴らしい!でも、ここは~」という形で記していけば、斬って捨てたように見えることもないのではと。
───そうですか。まずは否定から入るその切り口にネットユーザーとの親和性を感じていたのですが。
いや、否定から入っていたわけではなくて。むしろ冷静に客観的な批評をしようと努めていました。
───はい。ただ李さんが突然、褒め始めたら森岡隆三さんとか、李さんに厳しく指摘されてプロになった教え子の方々が腰を抜かすのでは。あるいは約3年前くらいからその姿勢でいれば…という気もしますけれども。
その話はやめましょう。もう指導者はやりませんからね。
【ポーランド戦について】
───日本代表はポーランド戦、0-1で敗戦しました。試合終盤は負けているなかでボールを保持しながらの時間稼ぎをし、他力本願での決勝トーナメント進出に賭けたその戦い方が大きな議論を呼んでいます。
監督は一夜にし英雄になる、もしくはお払い箱になることもある職業。非常にストレスがたまる仕事です。
日本代表のミッションって決勝トーナメント進出だったはずです。その結果を出すために日本サッカー協会は監督を解任したりもした。そして日本はそのミッションを達成した。だからいいじゃない? それだけの話では。
結果を求めて動いていた組織に、内容で批判するのはズレている気もしますし。
───西野監督は「不本意だった」と会見で発言したそうですが。
西野監督なりの美学があった中でやむを得なかったということかもしれない。
サッカーの監督って1試合で4試合を戦うものだと思います。
試合前の分析、選手に戦術を伝える、ハーフタイムでの指示、そして試合後の会見。最後の試合、つまり記者会見が一番難しい。
ただ、プロサッカーの監督ならば、エンターテインメント性を重視して会見でも堂々としてほしかった思いはあります。別にルールに反したことをしたわけではないですから。
西野監督の発言からは、どうも後ろめたさみたいなものがあるのかなと感じられます。
───海外メディアからの批判報道も伝えられています。
美学にこだわるのは柔道のような武道精神のある日本だけかと思ったら、そうでもない。いずれにしても是か非かをすぐに決められる問題ではないし、すごく取り扱いの難しいことをしてしまったのかなという印象です。
本当に驚きました。
───同じ状況で李さんが監督なら時間稼ぎの指示を出しますか?
出すね。逆に「出さない」というサッカー関係者がいたらなぜか聞いてみたいです。
だって仕事ですから。
そこだけを切り取られると「李よ、お前もか」と言われるかもしれませんが、そもそもの目的に対しての手段ということですよ。
だから是か非かと言われれば、いいんじゃない?というところですけど、美学的な観点からするとたしかにクエスチョンはあります。どちらが間違ってるというわけでもないし、どちらも正しいのではないかと。非常に歴史的な、議論を呼ぶ試合になったと思います。
───ポーランド戦のスタメン6人変更についてはいかがですか?
驚きましたよね。
まずあのメンバーを見て思ったのは、「あっ、守るんだ」ということ。そして守る中で一発は狙うぞと。そんな顔ぶれですよね。
ポーランドにスペースを与えない、走り負けない。そういう狙いがあったのかなと。
だから岡崎選手が途中で負傷交代したのは、西野監督にとって相当痛かったと思います。
───個々の選手については?
セネガル戦で柴崎選手が良くて、潜在能力の高さを感じていたのですが、ポーランド戦ではプレッシャーがかかるとミスをしてしまったりという場面があったのは気になります。
素晴らしい才能を持った選手ですけどね。いままでどんな大人と出会ってきたのだろうという気にさせられる選手です。
───というと?
たとえばU-17W杯を私はいままで2回観に行ってますけど、サッカー先進国の監督・スタッフはみな老練なスタッフを揃えている。
対して日本は若い人が多いですよね。代表に限らず。老練としたコーチは給料が高いという問題もあるのかもしれない。
ただ、経験のあるコーチなら選手に「いま代表のアイツは若い頃、こうだったぞ」という話ができたりもするし。
才能を持った選手が素晴らしい大人と出会うことで選手が変わり、価値が生まれる。ビジネス的にも成り立つ話ではないかと思います。
【セネガル戦について】
───セネガル戦は、2点差以上で日本が負けるという李さんの予想は当たりませんでした。当たらなくてよかったんですけど。
私は予想屋ではないですからね。
2点差で負けるくらいの力の差はあったのですが、セネガルが1点取ったあと、彼らは5メートルの距離で守備をしていました。
だからセネガル戦は日本の選手が上手く見えたのでは?
───ポーランド戦と比較するとそうですね。
セネガルの監督はそこを反省したのでしょう。コロンビア戦ではもっとタイトに守備をするよう修正してきました。
しかし負けてしまった。つまり、サッカーでは正しいことをしても負けることがある。勝敗だけを切り取っても意味がないことで。
───セネガルが日本を舐めていたということなのでしょうか。
上手い選手にはそばで守るのが原則ですから。メッシだってディフェンダーにそばで守られるのは嫌なんですよ。だから今回のW杯、メッシはずっとイライラしていましたよね。
セネガル戦に関して言えば乾選手の同点ゴールがすべてです。乾選手があんなに力を抜いてプレーしたことがかつてあったか。
しかし、乾選手はポーランド戦では力いっぱいのプレーに戻ってしまっていた。
───いつもいいわけではないと。
そこが一流と二流の差ではないかと思います。
いずれにせよセネガル戦、ポーランド戦といろいろな意味で語り継がれる試合になりました。
一方で、テレビを観ていて解説者のコメントや言い回しが私は気になるんですよね。
【解説者について】
───たとえばどのようなことでしょうか。
「ボールを回す」という言い方とか。
サッカーってボールを動かしながらいつスピードアップするか、どこから攻めようかをうかがう競技です。
───慣用句的に使っているのではないですか。パスを繋げてポゼッションするサッカーが良いものであるという暗黙知があって、その状態を伝えるために視聴者に耳慣れた「ボールを回す」という言い方をしたのでは。
ボールが回ること自体に意味はない。「ボールが回ってますね!」と解説者がコメントすることに違和感が拭えません。
もし私が指導していて選手が「ボールを回せ」なんて言い出したら、プレーを止めますよ。
───李さんのこだわるポイントは、ポゼッションサッカーやリアクションサッカーという大きな分類の一歩先に踏み込んだ議論で、どうポゼッションするかをテーマにしていると思います。テレビの解説者が何気ないワンシーンでそこまで専門的な概念を取り入れるかどうか。
そういう細かい部分、言葉の使い方を徹底していかないとサッカーへの理解は深まらないでしょう。
W杯に6回も出場している国で起こっていることですよ。
───解説者がサッカーへの理解の深さを売りにしているかというと、必ずしもそうではないような。むしろ、どれだけ多くの人に共感されるか、受け入れられるかをテーマにしていて、「ボールを回す」と「ボールを動かす」の違いをわかったうえで、あえて大衆に理解されやすい「ボールを回す」という単語を使っている可能性もあります。
そうかもしれない。
ただ、指導現場的に言うと、その可能性は低いと言わざるを得ません。子どもたちも「ボールを回せ」って言いますから。つまり、大人がそういう言葉遣いをしてきたということですよ。
W杯は次の4年間に何かを残してくれるものですけど、それが時間稼ぎの話で終わってしまうのは残念で、なにか多くの人に新しい概念や単語を残してくれればと思っています。
───今回のW杯が、「ボールを動かしながらいつスピードアップするか、どこから攻めようか」という考え方が根付くきっかけになればということですね。
【石塚啓次について】
あとNHKのスタジオ解説にU-23の代表選手が呼ばれていて、彼らは爽やかにコメントしていますけれども、なぜ一人くらい「西野さんはどうして僕を選ばないのか」という選手がいないのだろうと。
もちろんそれを言って良いか悪いかという議論はあるでしょう。しかし、それは「ファール」と同じだと思っていて、良いか悪いかという以前にやってしまうものなのではないかと。
サッカーって野心を持った獣たちがルールに縛られながらギリギリの部分で戦っていくものですから。スタジオで悔しさがにじみ出る選手が一人くらいいてもいい。
いま観ているW杯では、十代の選手が出ていて、ゴールだって決めているのに、悔しくないのだろうかと。
───内心、燃え上がるものはあるんじゃないですかね。その話で思い出すのは石塚啓次さんです。石塚さんが若手の頃、「僕を使えば優勝できますんで」とヒーローインタビューで言ってしまったことが批判を呼びました。その後、そのヒーローインタビューがJリーガーの新人研修の教材になったという報道を目にしたこともあります。
石塚啓次君の話をしてもいいですか?
1999年と2000年、私がヴェルディの総監督をしていた時代、石塚君はヴェルディに選手として在籍していました。
スケールが大きくて、サイズがあって……、潜在能力は化け物級。そのくらい凄い選手でしたよ、彼は。
───それはJリーグ初期にヴェルディを注意深くウォッチしていた人なら誰もが思っていたことです。しかし、不遇の時代が長く、李さんが総監督をしていた時代に初めて才能を開花させた印象です。
もし彼が私と15歳のときに出会っていたらトッティ以上になっていたのでは。
私と出会った頃、彼は24~5歳で、すでに峠を超えていた。膝がもうボロボロだったんですよ。2試合続けて90分は使えないくらいに。
それでも潜在能力の一片は見せてくれましたけど。
精神的にも少し腐っていたと思います。ヴェルディというクラブの正当性のなさのために。
───正当性?
つまり、それまでのヴェルディが正しく選手を使っていたかどうか。
───当時のヴェルディの選手起用は実力を反映したものではなかったと。
正当性のない選手起用を続けたことで、ヴェルディは若い選手たちの間で「行きたくないクラブ」になってしまった。
例のヒーローインタビューについて言うならば、悔しかったんでしょ、石塚君は。
私がヴェルディにいた時代は、選手たちに正当な評価を与えたと今でも自信を持って言えます。
───なるほど。そんな石塚さんもいまやスペインで事業に成功されて、選手時代とは別の一面を見せてくれていますね。
いいじゃない。
私もスペインに行こうかな。
───わかりました。ありがとうございました。
聞き手:@mzmktr
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