Lee’s Words 李国秀オフィシャルブログ

ハンス・オフトに「クレイジーだね」と同情された高校選手権での退席処分

1993年のドイツ遠征時。加賀見健介(後列右端)、森岡隆三(後列右から2人目)、廣長優志(後列左から4人目)、山田卓也(前列右から3人目)らの姿が見える。後列右から5人目は当時ブンデスリーガでプレーしていた韓国代表のキム・ジュソン。

 

───前回は森岡隆三さん、戸田和幸選手のプロ入りや移籍についてお伺いしました。李さんの教え子でJリーガーになっていた選手はまだまだいらっしゃいます。他の選手についてもエピソードをお聞かせください。

71年度生まれの代は長谷部茂利君、戸倉健一郎君、八城修君、72年度生まれの代は林健太郎君、福永泰君、中吉裕司君がプロになりました。そして73年度生まれの代が栗原圭介君、松川友明君、渡辺晋君だね。その下は……。

───74年度生まれは山田卓也選手たちの代ですね。

山田卓也君は読売クラブの小見幸隆さんに勧められて見に行った選手ですよ。小見さんが「鶴川におもしろいのがいるよ」と言っていたのでね。

───実際にご覧になっていかがでしたか?

山田君は足が速くてね。体自慢の選手でした。ただ、決して上手な選手ではなくて、私が要求するサッカー的な動きができるようになるまでは2年くらいかかったのかな。体力があったのでサイドで使って自信をつけさせて、そのうちにインサイドでもプレーするようになりました。

───サッカー的な動きとはどのようなものですか?

山田君は桐蔭入学当時、ステップが出来なかったんです。

山田君のお父様に会うとからかわれるんですよ。「李さんにはよくいじめられましたよ。覚えてますか?」とね。というのも、当時はお父様を呼び出しては「彼はステップできないのでダンスをやらせましょう」とか「もう連れて帰ってくれ」とか「ラグビーをやらせた方がよろしいんじゃないですか」とか言ってましたから(笑)。

───山田卓也さんの代には加賀見健介さんもいましたね。

山田君は駒澤大学に進学しまして、加賀見君にも本当は駒澤大学に行ってほしかったんですよ。素質あると思ってましたから。ただ、彼が駒澤大学は嫌だと言いまして。私も無理には行かせませんので、彼は結局、青山学院大学に進学しました。

───加賀見健介さんのどのような点に素質を感じていたのですか?

加賀見君は人と違う感性を持っていたというか、非常に独特でしたね。オリジナルな選手だったんですよ、持っているムードが。これは山田卓也君にも言えることですが。リーチが長くてスケールも大きい。もっと大成してもいい選手だったと思いますね。

───その一学年下には森岡隆三さん、廣長優志さん、三上和良さんらがいます。

少し話はそれるのですが、私は選手をスカウトするときに「この子はプロレベルまで行く」「この子は大学まではできるかな」といったことがわかるのです。その予想はそんなに外れません。

そういう意味で森岡君は順調に育った選手ですね。もう少し選手層がしっかりしていれば、廣長君もポジションを固定していろいろやれたのですがね。

───廣長さんはプロに入ってからはセンターバックやボランチの印象が強いですね。

彼は中学のときはセンターフォワードでした。脚力が凄かったのですよ。しかし、技術的に少しバタバタしていました。私の感覚からすると、子供の技術であって、大人の技術ではなかったのです。

ですから彼を大人にしようと思って一番後ろ、つまりリベロに下げました。ボールを取ってからスッと前に行くプレーをさせてみようと。私のイメージでは廣長くんはボランチではなかったですね。

「ちゃんと見てよ!」と言っただけで退席処分に

───この辺りの世代を指導している間、思い起こされることなどありますか?

そういえばね、私は高校選手権で退席処分になってるんですよ。過去に退席処分になった監督さんって私以外にいらっしゃるんですかね(笑)。

あれは山田君、加賀見君が3年生、森岡君たちが2年生の時ですから……

───92年度、国見高校と山城高校が決勝を戦った高校選手権ですね。

はい。1回戦の佐賀商業との試合だったと記憶しています。席を立ったら退場になってしまったんですよ。

───その程度で退場させられるのですか? 恣意的なものを感じてしまいますね。

規定では監督が席を立ったら退場だそうですよ。

佐賀商業の監督さんは非常に精神論の強い方で、とにかく根性のマンマークで来るわけです。しかし、時間が経つと疲れてきますし、どうしてもマークが遅れてきます。体ごとぶつけてくるディフェンスが遅れてくると、怪我がどうしても気になりまして、レフリーに「ちゃんと見てよ!」と言ったんですよね。

───指導者としては、それは言わざるを得ないですね。

新聞によっては「ちゃんと見てよ!」と言った後に「バカ野郎」と言ったとか言わないとか書かれていましたけど、そんなことは言ってません。

その試合は5-0で勝った試合で、私が「ちゃんと見てよ!」と言ったときにはすでに勝ちがほぼ決まっていた状況でした。つまり、翌日に試合があるわけですから、どうしても怪我をさせたくなかったのです。

───次の試合はベンチ入り禁止ですか?

はい。観客席から観ましたよ。たしか石塚啓次君がいた山城高校との試合だったと思います。

当時、日本代表監督だったハンス・オフトが観客席にいまして「ここで何やってんの?」と言われた記憶があります。「こういう理由で退席処分になって、ベンチ入り禁止なんだ」と答えたら、「クレイジーだね」と同情されてしまいましたよ。

───なるほど。李さんのサッカー人生はある意味、日本社会の滑稽さ、たとえば体育会体質、非合理性、精神論といったものとの衝突の歴史と言えるかもしれませんね。

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