今回はいつもとは趣向を変え、サッカー指導者・李国秀の近況をお伝えしたい。
7月25日から29日まで韓国へと出張した私には2つの目的があった。ひとつは江原道の太白(テベッ)に行き韓国の大学選手権を観戦すること。もうひとつは東アジア杯2013の日韓戦を観戦することだ。
快晴の羽田から一路、蒸し暑く曇り空のソウル金浦空港へ。太白まではバスで3時間30分、電車で4時間と聞き、迷わずバスを選んだ。
東ソウルバスターミナルで太白行きの乗車券を22,600ウォンで購入。バスは乗り慣れていないので不安はあったが、飛行機で言うならビジネスクラス級の席であり、思いのほか快適であった。
終点の太白には私がヴェルディ川崎の総監督時代にともに戦った金鉉錫(キム・ヒョンソク)が約束通り出迎えてくれた。彼は現在、現役を引退し、蔚山現代に所属しているという。彼には太白でのホテルの予約と日韓戦のチケット手配を依頼していた。
太白で韓国の大学選手権を観戦
案内されたホテルはリゾートホテルで、裏はスキー場、前にはゴルフ場という素晴らしい環境で驚いた。荷物を置き、試合会場へ向かうが何とも心地よい気候だ。試合会場は人工芝でナイター完備、聞くと太白市が夏の集客を考え作ったという。日本の大学生にもこのような環境でサッカーをやらせてあげたいと強く思った。
私が観戦する大学選手権は44回を数える伝統ある大会で、63チームが出場。出場チームは63チームからリーグ戦を経て32チームに。その後はトーナメントで覇権を争うようだ。
1チーム当たり選手役員30名と63チームそれぞれに保護者がいることを考えれば、それなりの数字になる。
私が観戦した大学にはJリーグのチームから関心を寄せられている選手がいるとのことで、某Jリーグチーム強化担当の名刺まで見せてくれた。
さて試合だが、この大会に限らず、私はいわゆる戦い方や結果にはさほど興味はない。誰がプロで活躍できるか、私の興味はその一点にのみ注がれていたと言っても過言ではない。
学生の大会の多くがそうであるように、この大会にもタレントはいた。そして観客席には声を張り上げ応援する保護者の姿。世界共通の光景と言ってもいいだろう。しかし、監督の指示よりも保護者の指示が正しいシーンもあったりと、滑稽な一幕も。
試合後は久しぶりに金鉉錫と夕食。太白は韓牛が有名とのことで彼の知り合いの店へ。味付けの無い肉を網で焼き、塩で食すのだが、肉に味があり美味しく飽きないのに驚いた。心地良いひとときを共にした。
雨の中、観戦した日韓戦
翌日、ソウルに戻った私はインターコンチネンタルグランドに宿泊。日韓戦会場の蚕室スタジアムは目と鼻の先である。
金鉉錫が手配してくれたチケットはVIP席で韓国サッカー協会から招待状の文字も見える。
試合当日、ホテルに会場までどのくらい時間がかかるのかと聞くと「30分から40分はみてほしい」との回答。目と鼻の先なのにと疑問に思い聞き返すと「渋滞するので」との返事。
ホテルマンの言葉を疑いながらも試合開始80分前にホテルを出発すると、ホテルを出た直後から渋滞が始まり早めに出て良かったと感じた。そしてVIPチケットの威力か、会場側ではとても丁重にもてなされ、運転手が目を丸くする一幕も。
会場内のラウンジではサッカー協会関係者など、多くの人が軽食をとりながら談笑している。私は日本サッカー協会の原博実強化部長と二言三言交わした後、韓国側の関係者ともしばし歓談。
フィールドに出ると懐かしさがこみあげた。1997年、岡田武史監督時代の日本代表がこのスタジアムで韓国を2-0で退け、初のW杯出場に望みをつないだゲームを観戦したことを思い出した。そのとき、韓国側はすでにフランスW杯出場を決めていたため、親善ムード。一方の日本側はピリピリしていた。負けた韓国サポーターは「一緒にフランスへ」と書かれた横断幕を掲げていたはずだ。
1997年に観戦した際、私は監督記者会見も覗いてみたが、そこでの韓国記者の質問が忘れられない。当時、韓国代表の監督であった車範根(チャ・ブンクン)さんに、開口一番「わざと負けたのですか?」と質問したのだ。
このような辛辣な質問を日本の記者はするだろうか? できるだろうか?
日韓戦は小雨が降りしきり、蒸し暑く、観戦する側にとっては最悪のコンディション。VIP席には雨除けがなく、関係者がビニールを用意してくれるのだが、暑くて着ていられない。キックオフ前に席を抜け出し、最上階へと潜り込んだ。
この試合、韓国側の注目点はDF出身でオリンピック3位の実績を引っさげ就任した洪明甫(ホン・ミョンボ)監督がどのような戦い方をするか。そして日本側は、柿谷曜一朗君を中心にどのような試合運びをするか。
日本は守りに力が削がれ、柿谷君にはいっこうにボールが渡らない。まるで高校サッカーのようだと思っていたら、一発のロングボールで柿谷君が得点。まさに高校サッカーのようだ。
守る韓国側のお粗末さも指摘しなければならないが、柿谷君は落ち着いてゴール左隅に決めた。「なるほど、これが柿谷君ね」と思った。
しかし、日本は良いところがなく、失点は時間の問題であった。そして前半、韓国選手が緩急を織り交ぜながら、これまた素晴らしいゴールを決めた。
後半、引き分け濃厚の空気が漂う中、柿谷君は高い集中力と勝負強さを見せつけ、ゴール。試合は2-1で日本が勝利を決めた。
柿谷曜一朗君の今後 そして韓国サポーターの横断幕に思ったこと
マスコミからも大きな注目を集めた柿谷君だが、これからどこを見るか、何を望むかが重要だろう。彼の前にあった日本代表という壁が低い壁だったのか、高い壁だったのか。もっと高い壁に登ってもらいたいと願う。
翌日、帰国便へ登場する前、ラウンジで日本のスポーツ紙に目を通すと、韓国サポーターの横断幕が大きく取り扱われていた。
そして自宅へ戻り、テレビを観ていると、日本サッカー協会会長が悲壮な顔つきで画面に登場し、横断幕について語っていた。ウィットの効いたコメントでもすれば男を上げたのに。立場上、無理なのだろうか。
大会の目的は、政治を越え、スポーツを通して国際関係を構築することだったはずだが、韓国で掲げられた横断幕は、日本側には気になるものであり、日本の立場を強弁できる内容ではあると思う。
初めて訪れた太白(テベッ)の澄んだ空気と、学生たちに良い環境を与える韓国大学連盟の素晴らしさをこの旅の喜びとしたい。
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