Lee’s Words 李国秀オフィシャルブログ

コンフェデレーションズ杯イタリア戦 日本サッカーが思い知らされた一流との差

日本時間6月20日早朝に行われたコンフェデレーションズ杯イタリア戦について、元ヴェルディ総監督・李国秀の批評をお届けします。

 イタリアはすごく出来の悪いゲームをしたが、それでも「戦いの緻密さ」がイタリアにはあり、日本にはなかった。

ずっと感じていたことだが、日本の一番の問題はリーダーがいないことだ。前半残り5分ほどで1点を取られたのが象徴的。ブラジル戦も含めて、立ち上がりや終了間際に点を取られているのは、チームとして「やるべきこと」「やってはいけないこと」を誰も指摘していないからだ。

やるべきこととは、例えば「相手の前で球際を戦え」「自陣では危険なエリアから早くボールを遠ざける」ということ。たったそれだけだが、それが一流との差だ。日本はまだ「二流の上」でしかなかった。

中2日の試合で体の動かないイタリアは、前半1失点はやむを得ないと思っていたのではないか。2失点してやっとスイッチが入るというのは残念だったが、的確な時間帯に投入された選手が良い仕事をした。監督の力量の差かもしれないが、選手層の厚さ、「値打ちを示さないと外される」危機感の違いとも言えた。

この2試合を通して、日本の選手は「もっと技を磨かないと」「連係に緻密さを求めないと」と、もっと自分に厳しくする必要を教わったと思う。一流とは、どんな状況でも客をうならすことであり、値打ちとは才能プラス努力だ。W杯までの1年で日本はどこまで高められるだろうか。(元ヴェルディ総監督)

 6月21日読売新聞朝刊より

───コンフェデレーションズ杯イタリア戦は3-4で敗れました。

一言で言うと惜敗でした。一流とは何かを考えさせられる試合だったとも言えます。

日本とサッカー一流国との差とは?

───試合を通して日本が押しているように見えましたが。

試合の背景を考慮する必要があります。日本は中三日、イタリアは中二日での試合です。つまりコンディションに差がありました。中二日では血液がサラサラにはなりません。選手の体には乳酸がたまった状態ですから、試合開始前から疲れている状態だったのでしょう。

そして、イタリアの監督はそれを承知のうえでゲームプランを組み立ててきました。つまり、日本にある程度ボールを持たれることは織り込み済みであったはずです。しかし、イタリアは日本の2点目にびっくりしたことでしょう。結果的に2点目が入ったことで、イタリアのスイッチが入ってしまった。

───スイッチが入ってしまうと、あんなにも簡単に点を取られてしまうのでしょうか?

それが一流国とそうでない国の差です。

楽器に例えてみましょう。一流のギターは大量生産のギターと一見、同じような形をしていますが、実は上質な木を使っていたり、ハンドメイドだったりします。日本とイタリアには、細かい部分をよく見るとやはり明確な差があるのですよ。

───明確な差と言いますと?

選手層が違います。イタリアは交代選手が活躍しましたが、日本の交代選手はどうでしたか?

その点から見れば「あの選手交代は何なんだ」と、ザッケローニ批判が出るのは致し方ありません。でも、もしかしたらザッケローニの本音は「日本にはこれしか選手がいないんだから、仕方ないじゃないか」ということかもしれない。

───そして日本には、まだイタリアのような一流国がスイッチを入れたときに、それを食い止める力はないと。

仮に前半を2-0で終えることができたなら、引き分けに持ち込めた可能性はあります。

前半のPKから、レフリーに上手くシナリオを作られた試合とも言えます。選手は悔しいでしょう。

───惜敗とはいえ、4失点は多すぎでは?

4失点目はなぜ起きたのだろうと思いますね。

今野の中途半端なクリアを相手に奪われ、そこから得点されたわけですが、あの場面、今野はもっと遠くに蹴るべきでした。しかし、今野がクリアしたボールは、危険なエリアを脱していなかった。一流国の選手なら絶対にやらないプレーでしょう。

───一流との差はまだ大きいですね。

日本はサッカー先進国ではなく、まだ一流を目指す発展途上にあることをみなが理解しなければならないと思います。

やはり、一流へ近づくためにはいい選手を育てなければならない。

サッカー中心の生活を許さない日本社会

───イタリアと日本で選手育成に違いはあるのでしょうか。

日本は夜練習しますが、イタリアに限らず一流国はそうではありません。中学生以上の年代で言えば、サッカー中心の生活をします。

Jリーグにも下部組織がありますが、選手は学校が終わってから練習するのですよ。夜に練習して帰宅したら23時過ぎなんてこともあります。部活動も放課後にやりますね。

夜に練習するとどういうことが起こるか? 選手は朝の学校で授業中に寝てしまうのですね。そうすると学校の先生方は怒ります。こうしてサッカーの値打ちが下がっていくのです。

───日本では制度上、中高生がサッカー中心の生活を送るのは難しいのでは。

どちらがいいとか決めるつもりはないのですが、朝に練習し、夜に寝るというサッカー中心の生活が許されないのが日本です。

イタリアに限らず欧州は階級社会。日本はみなが同じ学校に行き、同じ授業を受け、いい学校を卒業することをよしとする。そんな違いがあります。

───制度の違いを克服するにはどうしたらいいでしょうか?

何よりもサッカー協会の方向付けが大事です。いい選手とはどのような選手か。どのような視点で選手を見るのか。

いま日本代表でいい選手って誰ですか? 本田、香川? しかし彼らが日本でプレーしていたときから評価していた人ってどのくらいいますかね?

彼らは海外で活躍したから、日本国内での評価も上がったのではないですか? つまりこの国は、まだ選手の評価基準も確立されていないのが現実なのですよ。

精神論でサッカーを語るメディア

───日本のサッカースタイル、そして評価基準を確立するためにはどうしたらいいのでしょう?

その質問は、もしかしたらトヨタ自動車に訊いたほうがいいかもしれませんよ。トヨタのような世界的な企業はそこに至るまで多くの失敗をしています。しかし、世界で笑いものだった日本車を世界トップにまで押し上げたわけですから。スポーツにもそのロジックを持ち込むという発想があってもいいのでは。

また、サッカーを伝えるメディアも変わっていってほしいと思います。W杯5大会連続出場で、日本には5重のサッカーファン層ができましたが、TV局はどうしてもサッカーをよく知らない人向けに番組を作ってしまう。

Jリーグ創成期から、あるいはそれ以前からのサッカーファンは、TVでサッカーを観ても退屈ではないですかね?

───たしかにそれはあると思います。TVでは満足できないコアなサッカーファンがインターネットに流れているのかもしれません。

何より大事なのは精神論で議論してはいけないということです。

NHKのアナウンサーが試合後、「まだメキシコ戦が残っていますね」というようなことを言っていました。

NHKのアナウンサーは最後まで力を振り絞って、せめてメキシコには勝ってほしいという意味で言ったのだと思います。しかし、イタリア戦に負けてしまったことで、日本にとってはもう大会は終わってしまったのですよ。

───日本のメディアは高校野球のような汗と涙、全力プレーをスポーツ選手に強要する風潮があります。

日本の国営放送がそのレベルなわけですから。

イタリアやブラジルのような一流国の国営放送のアナウンサーはそういう言い方をしますかね? イタリアやブラジルの放送を見たわけではありませんが、おそらく言わないのではないですか?

日本にとって大会はもう終わってるわけですから、「次の試合はどう戦うのか」「新しい選手を試すのか」という視点を持って欲しかったところです。

───惜敗ではありますが、選手個人の力量、社会制度、メディアなど、細かな差はまだまだ多い。

日本サッカーを前進させるには、まずいい選手を育てることです。

先ほど、日本には5重のサッカーファンがいると言いましたが、その中でもコアな人たちに合わせたメディアが出てくると、もっと厳しい批評が出てくるのでは。

そして、サッカーファンの方々には、監督の仕事の大変さ、難しさというものをもっと知っていただきたい。監督は相手チームとも戦いますが、実はメディアやサポーターとも戦っているのですよ。

───どういう意味でしょうか?

ザッケローニのケースで言えば、「最後のメキシコ戦も全力で力を振りしぼれ」と騒ぐメディアを相手に新戦力をどう試していくか、「あの選手を使え」と主張するサポーターからの批判をどうかわしていくか。これもひとつの戦いなのです。

───監督がメディアやサポーターとも戦っているという視点を持っている人は日本にはまだ少ないですね。

サッカーを見る視点には正解はないですし、結論もありません。しかし、様々な見方があること、多様であることがその国のサッカー文化の豊かさです。

日本がサッカーで一流国になれない理由、病原菌は何なのかという議論がこのブログをきっかけに生まれてくればいいのでは?

その中から、いい選手を育てることが大事、そして精神論ではなく合理的にサッカーを語りましょうという私の視点や波長に賛同する人が増えてくれるとうれしいですね。

───ありがとうございました。

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